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桃の節句 [春夏秋冬]

相変わらず寒い日が続きますね。東京は3日の夜から4日の朝方にかけて雨交じりの雪が降り、気温が上がらず、3月に入ったというのに真冬のような寒さが続いています。
みなさんのところは、寒いですか?

気象情報によると、東京の4日の天気は曇り時々雨。最高気温9.2℃、最低気温1.1℃、湿度73%、北北東の風、風力1m/sでした。風がほとんどなかったものの、冷たい雨が降ったせいか気温が上がらず、体感的には寒かったかな:゙;`;:゙;`;・o(ロ≦〃)

ところで、昨日のblogでも書きましたが、3月3日は「桃の節句」です。

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「桃の節句」の起源は古く、遠く平安時代までに遡ります。

昔の日本には五つの節句(人日(じんじつ)・上巳(じょうひ)・端午(たんご)・七夕(たなばた)・重陽(ちょうよう))がありました。当時この節句という行事は貴族の間では、それぞれ季節の節目の身のけがれを祓う大切な行事でした。

その中の一つである「上巳の節句」が後に「桃の節句」となります。

「上巳」とは旧暦3月の上旬の「巳の日」と言う意味で、3日に固定されていたわけでは有りません。現在の様に3月3日に固定されるようになったのは中国の三国時代、魏(西暦220年~265年)の国の頃からです。

日付が固定されてからは、3月3日と「三」が重なることから「重三(ちょうさん)の節供」ともいわれるようにもなっています。

さて、時は平安時代に遡ります。この時代の人々は「上巳の節句」の日に野山に出て薬草を摘み、その薬草で体のけがれを祓って健康と厄除けを願いました。のちにこの行事が、宮中の紙の着せかえ人形で遊ぶ「ひいな遊び」と融合し、自分の災厄を代わりに引き受けさせた紙人形を川に流す「流し雛」へと発展して行きます。

その後、室町時代になるとこの節句は3月3日に定着し、やがて紙の雛ではなく豪華なお雛さまを飾って宮中で盛大にお祝いするようになりました。

その行事が宮中から武家社会へと広がり、さらに裕福な商家や名主の家庭へと広がって行きます。やがて今の雛祭りの原型となって行きます。

「ひな祭り」は、高貴な生まれの女の子の厄除けと健康祈願のお祝いとしての「桃の節句」が、庶民の間にも定着して行ったお祝いです。

ですから単なるお祭りとしての位置づけではなく、お七夜やお宮参りと同じく女の赤ちゃんのすこやかな成長を願う行事・・・いうなればお雛さまは、赤ちゃんに降りかかろうとする災厄を、代わりに引き受けてくれる災厄除けの守り神のようなものなのです。

私たちは、あまり意識をせずに年中行事の一つとして「ひな祭り」を祝いますが、こんな意味合いのある行事だったんですね(;^_^A

「桃の節句」の由来を調べてみるとなかなか面白いですね。


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pegasas

ひな祭りの意味を始めて伺いました。勉強になります。
私は娘がお嫁に行ってからは、一度も飾っていないのです。
孫も男の子ばかりで・・お雛様を今度出して見様とおもいました。
by pegasas (2009-03-06 19:31) 

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